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『宇宙経由の手紙』…その後 [2008年09月11日(木)]

『宇宙経由の手紙』…の記事は、私の喜怒哀楽が凝集された、まさに私の人生を象徴する過去記事です。 今までブログを続けて来ましたが、その中でも1、2番に自分の気持ちを込めた記事でした。

今までずっと仲良くしてくれているブロだちの皆さんは、どんな記事だったかピンと来ると思います。




コチラの記事をどうぞ。




このお話の続きを書きますね。






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宇宙経由の手紙。 [2008年05月02日(金)]

小学校4年生の時の担任の先生が、すこぶる好きだった。

多分、当時の年齢は、今の私よりちょっと上くらいだったのかな…。 

彼女は子供たちに本当に自由な発想を抱かせてくれる人で…。

もちろん、授業はきちんとされていましたよ。けれど、プラスαの部分が、20年近く経った今でも自分の心の中にずっと響いていて…。

例えば。3学期最後の「学活」の時間には、植物園にクラス全員を連れて行ってくれました。もちろん、親には承諾済みだったと思いますが…。

今思えば、みんなの入場料は先生のポケットマネーだったのかも。

私が転校する日も、クラスメイトを連れて、なんと那覇空港まで見送りに来てくれた先生。

まだ幼かったけれど、泣いて泣いて。離陸して小さくなる沖縄島に、「絶対もう一回来るから」と、心の中で約束したのを覚えています。


今のご時世では、「責任問題だ」とかで、結構型破りな教育方針だと言われるかもしれませんが、今までに私の心をわしづかみにする先生は、他にいません。


今、私が描く絵のタッチや、考え方、そして独特の感性は、彼女の影響を多大に受けている…と断言できます。

もちろんその後もたくさんの先生たちと出会えましたが、正直、今でもその先生が一番好きです。



そんな先生とも音信不通になってしまい…。 ずっと連絡を取りたいと思っていたのです。

ある日、思いつきました。高校生の時です。




それは…、

「母校に問い合わせて、

先生の赴任先を聞く」


行動派…つうか、強引つうか… 考えるより先に行動してしまうのは、高校の時も今も、ちっとも変わってないっす

当時は、個人情報保護法なんていう概念はなかったですからね…。今、そんな個人的なことを母校に聞き出そうとしても、絶対ムリです。

それで、赴任先から赴任先、電話で辿っていくことを何回も繰り返し…


ついに先生と電話で再会


もちろん、突然の電話、しかも教え子の一人でしかない私を認識するのにしばらく時間がかかりましたが、確かに覚えていてくださいました。ビックリされていましたが、喜んでくださいました。

それから数通、お手紙のやり取りをしたのを覚えています。

先生、その節は唐突に、しかもお忙しい時にお電話をしてしまってごめんなさい!!





それから連絡はしていないのですが、この間荷物の整理をしている時に、先生からもらったハガキが出てきたのです。物持ちの悪い私にしては、奇跡としか言いようがない!

今度の8月に沖縄に行って、先生に再会したい!

そんな思いから、今日は先生に手紙を書きました。

すこぶる純粋な気持ちで…

半分空に向かって書いているような気持ちにもなったな。



軽く近況報告と、自分の心の置かれている状況。

沖縄に行きたい理由とか…。


10年前に頂いた住所なので、届くかは分かりません。

引越しされているかもしれないし…。


でも、言の葉は、宇宙に届くと聞きました。

手紙の半分は、「今の私」が書き、もう半分は「当時の私」が書いています。

先生なら、私の真意を汲み取ってくれる気がします。





大好きだった先生に、

再び私の手紙が届きますように。

どうか元気でいらしてください…










淡い思い出 [2008年01月29日(火)]

直前記事の「インナーチャイルド」とは直接関係はないと思うのですが…。

当時のことを回想すると、必ず記憶の中に出てくる人物がいます。





小学生の時


プライバシーの問題もあるので、詳しくは割愛させていただきますが、2回くらい同じクラスになった、私が密かに想いを寄せていた男の子でした。よくある話です。

実は…。これと言って話した記憶すらないのです。

沖縄から転校すると決まった後の最後のバレンタインの時に、一生懸命、家まで持って行ったかな…。

彼は目立たない子でしたがとっても几帳面でした。私と正反対の子でした。

それが最初で最後の思い出です。 



彼も私と同じ時に沖縄から引越しちゃったから。




高校生の時


時は過ぎて、そんなこともすっかり忘れていた時、ちょっとしたことからとっても近くに住んでいることが判明。 すでに高校生です。

連絡していいのかどうかわかりませんでしたが、迷惑に思われるかも…と思いつつ、家に電話をかけました。


いきなりで、向こうは相当焦ったと思います。忘れていたヤツから全く違う土地で連絡がくるってのは…。


何回か会ったかな。やっぱり私と正反対の性格のおとなしい子でした。会っても無言(苦笑)

私が猪突猛進的な性格なので、完全ドン引きされ、交流終了…。

それが本当に最後でした。



私は完全に自分の心を「恋」だと勘違いしていましたが、あれは全く違う場所で再会したことの興奮と、「奇跡」だと思い込んだことによる錯覚だったのかも。

沖縄に住む前も、同じ土地に住んでましたから。 これで3回目。


本当に、一方的に恋心もどきを押し付け、彼にはとっても申し訳ない気持ちと羞恥心でいっぱいでした。



今の気持ち


でも、一つだけ確信していた気持ちがあります。

彼に助けて欲しかったのかもしれない。

親も知らない「小学生の時の私」の姿を知っている人物をそこに見つけて、何かを語って欲しかったのかもしれない。

ほんの些細な思い出でもいい。 小さい時に戻って、何かを発見できるかもしれない。そんな気持ちがありました。

けれど、彼には彼の時間の流れがあり、もう「小さい時の彼」じゃない。

私の心の中でストップしてしまった流れを押し付けて困惑させてしまったこと、今でもすごく申し訳なく思っています。




そういう不完全燃焼の想いがあるせいか、私が睡眠中に見る夢にはその当時の場所、そしてその当時の彼の姿がよく現れます。

ほとんどのクラスメイトのことは、その姿すら思い出すことができません。

なぜ、彼たった一人だけ、私の心は彼に執着しているのか、自分でも分からないのです。



(もしや「前世」で何かあったのか?!と思ったりもしますが、確認のしようがないので困ったものです。)


もしや、死ぬまで彼の姿が脳裏にちらつくのでは…。。。

など、遠い記憶を呼び起こす上で彼の姿が見え隠れすることに、なぜか安堵感、そして少々複雑な心境も現れてきます。











捨て技A(リメイクな恋編) [2007年12月19日(水)]

私が不得意とするものに、「写真整理」がある。

どれだけ写真に対してズボラかというと…


自分の結婚式の時の写真、

現像してきて、そのまま…


ちなみに私はすでに結婚7年目であります…(汗)



子供が何歳の時の写真なのか判別不能なのは序の口。 なんと、その被写体が「長男」なのか「次男」なのかも判別不能。

結構イッてます



溢れかえる写真の数々



「過去は振り返らない主義だ!!」

と言ってみてもカッコはつかず、やはりここは素直に写真の整理をしようか…。


手始めに、私と相方の歴史を整理。

ぬおーーー! 私にシワなし! 若い! 体型崩れる前の写真が、眩しかったりする。

(『今』が惨めになりそうで、写真が手つかずだった…という理由もあるし、逆に思い出したくない『過去』があるから…という想いもそこにはある。)

写真を眺めつつ、歴史は『今』だけで作られたものじゃないんだな…と今さらながら実感。


それなりに長い間一緒に過ごし、いつの間にか敬意を表することができる相手になってる。

相方が私をどう思ってるかは知らないけれど、写真を見ながら、なんだか感慨深いな…。


他の誰も、他の家族すら写ってない写真だけ選りすぐりのアルバムを作ってみた。

どぎついピンクのアルバムでね(苦笑)




大喧嘩した時に破っちゃったり、大半は消えちゃったのもあるけれど、なんとなく歴史の流れは分かるくらいに復元できる…かな…。



お互い、年食っちゃったね。 (放置した写真の劣化もすごいけど、実物の劣化も激しい…笑)








新しくギザギザハサミも買ってきたし、

きれいにアルバムでも作ってみるかな。

アイツから連絡あり。 [2007年08月28日(火)]

このブログにもたびたび登場してくる韓国人の「元カレ」からメールが来る。 



元カレと言っても、そんなにドロドロしたものでなく、分かれるときも「しゃーないな・笑」といった感じ。

「言葉の壁」がうまい具合にクッションになってくれ、血生臭い別れ方をしなくて済んだことも事実。

最初から、何もかも違いすぎたんだ。


なので、感覚的には大昔から知っているような不思議な感覚のヤツで、今では

私の唯一の異性チング(友人)です



もう本当に数年ぶりのメールをすると、翌日すぐに返事が…。


この彼、努力を地で行く人で、パイロットになりたい!と言う夢のような話を、

本当に成し遂げてしまったのだ

あの、私の隣で「あいうえお」の勉強をしていたはずの彼が、今じゃ某航空会社のパイロットだなんて…。(日本の空港でもよくお見かけします某会社の

最初聞いたときには信じられなくて、なんだか遠い人になった気がして、素直に喜べなかった。 すごい皮肉めいたメールを送って、気分を害してしまったかも…。

(ちょっと惜しいことしたなーと思ってしまったのは否めないな… 私イヤなヤツ



それから、訓練のためしばらく渡米するとのことで、連絡は途絶えていたのだけれども、今はソウルに戻って無事にしていることが判明。



今は、素直に希望がかなってよかったねと言ってあげられるな…。



: 韓国に来たら、焼酎おごるからな

いやいや、あんたと飲んだら、終わりがないじゃないかっ
3年前、韓国に行った際に再会、延々と6時間も飲み明かし、結局二人とも最後まで元気だった



でも、こんなに社会上の立場は違ってしまっても、いつまでも普通の会話ができるって嬉しいな。

続けて韓国のことをたくさん勉強して、尊重できる気がする。
そして、今からも、細々と交流よろしく 


本人には言ってないけど、勉強するきっかけを与えてくれた彼には、本当に感謝しています。 






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