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残された私たちが想うこと。 [2008年09月21日(日)]

昨日、フジテレビの土曜プレミアムで、

『なでしこ隊

〜少女達だけが見た”特攻隊”〜

封印された23日間』



を観ました。

この番組の存在、あらかじめ知っていたわけでなく、昨日たまたま出先の雑誌の中で予告を見たので急いでテレビに釘付けになりました。


これもシンクロの一つなのか、たまたま図書館で借りてきていた本が今、手元にあります。





ここには歴史的事実にとどまらず、彼らがあらゆる人に出した『最後の』手紙があります。


ご両親、

兄弟、姉妹

妻、恋人

婚約者…



今までどうしても銃後で大切な人を待つ『女性』としての観点から想うことが多かったのですが、この本や、そして昨日の番組を観るうちに、自分の視点が大切な人を残していかなければならない『男性』のほうも傾けられていることに気づきました。

笑って行く人など一人もいなかった。


なのに、『最後の手紙』には相手を想う気持ち、本当は死にたくない、会いたい…

人間として純粋な心の内が書かれていることにショックを受けました。


時代を憎むべきか、誰かを憎むべきか。

そんな気持ちをはるかに超えた「人を純粋に愛する気持ち」…



私はこの戦争に関してある思いがあり(最近知った事実ですが、ややこしくなるのでここでは割愛させていただきます)、この戦争の事実を知れば知るほど心にズシンとくるのです。

でも、真実を知ること。 目を背けては決していけない。

何かを感じること。

伝えること。

…生かされたもの、もしくはその後世に生を受けたものの課題ではないでしょうか。



彼らの死を無駄にしない。

彼らは自らの命を持って何かを伝えてくれる。 それを私たちは受け取らなければならない。



戦争を体験したことがない世代… この一言で片付けられない何かが、ここにはあります。






父だったのかな…? [2008年08月29日(金)]

いつになく、私にしては真面目な記事を書きます。

…家庭の事情で、私は15年前から父と会っていません。 母と二人で暮らしてきたのですが…。

当時は色んなことに巻きこまれ、なんだか大人の言動に振り回され、見た目はほんとにいい子を装っていましたが、あれほど悲しい時代はありませんでした。

片方の味方になり、片方を憎み。


完全に事情を把握できない15歳には酷な話です。


そのうち私の感情は爆発し、壊れていきました。


今の私になるまでに、苦しんで苦しんで、やっとここまでたどり着きました。




おとといの話。

とある駐車場で、車を出そうとしていた時のこと。 一台の車が入って来たので、優先させてあげました。

軽く会釈をしたその運転手、


「あ…父?!」

なんとなく父に見えたのです。  着ている制服が父と同じ職業のものだったからそう見えたのか、それともナンバープレートに刻まれているその地名が、父が住んでいた場所のものだったからなのか(この辺りでは珍しいナンバープレートです)

ある意味特殊な職業なのですが、転勤でここにいてもおかしくありません。



私は降りて確認しようかどうか迷いました。

その一瞬迷っているうちに…


直前まで降っていなかったのに、バケツをひっくり返したような豪雨が。 お陰で確認することも出来ずにその場を離れたのですが…


その後、雨は嘘のように止み、陽が出ました。


天が仕組んだことなのか、とっても不思議で、でもとっても切なくなって、車の中で涙が出てきました。



周囲の人のために憎んでいるふりをしてきたけれど、本当は父に会いたい。

なぜ、私に確認させたくないかのような豪雨が一瞬だけ降ってきたのか。



なんだか、すごく気持ちがすっきりしないのです。

でも、「父らしき」人を見ることが出来て、ちょっと嬉しかった。




「父は元気にしている」
そういう仮定の下、私は色んなことを考えていますが、もしかしたらそうじゃないかもしれない。

私が明日も無事に過ごせるとは100%言い切れない。



当然のように明日の準備をして眠りにつくわけだけれど、どうなるかなんて誰にも分からない。


何か、手を打たなくちゃいけないのかな。と思ったりします。


あなたが憎んで別れたはずの母さんは、一生懸命このワガママな娘を育ててくれました。

ほめてあげてください。


私からそう伝えたいのです。




どうしても、という時に、連絡がつかないわけではないのです。

父本人とは連絡はつかないけれど、最終手段はあります。


しかし、それをやってしまうと、母が悲しい思いをするのではないか。

そんな遠慮もあり、私はこの歳になっても、やはり何の決断も下せずにいます。



お父さん、お母さん、今は誰も憎んでいません。

お互い頑張ってきたことは、認めてあげようね。


働かせてもらっています。ありがとう。 [2008年07月27日(日)]

働くこと。

働かせてもらうこと。



これ、似ていて非なるものなのです…。というのも、最近それをよく実感します。

まぁ、私のことはこの記事の最後のほうに書くとして、上記の言葉は、ブロともきらりん☆の記事を読んでいてぐっと心に染み入った言の葉です。

彼女は、給料日には、働かせてもらっていることに感謝して、ご家族でケーキを召し上がるのが慣例だそう。


彼女のこの気持ちっつうのが、仕事をガンガれるゆえんなのかな…とちと思ったり。

家事も育児も大変で、ほんとヘトヘトなはず。 他人が知らないところで、仕事の苦労がたくさんあるはず。

でも、仕事を持っている彼女は、なんとなく私にはキラキラして見えます。

多分、こういう「働けることに感謝する」とかそういう心が、彼女の原動力になっているのではないか…と思ったのです。

私も給料日には、自分にご褒美はしますが、「働けることに感謝」という気持ちからではなく、う〜ん…これは

ただの散財…

(気が大きくなる性質があるらしい…



さて、本題に入りますが、自分が「働いて家計を支えてやってる」という気持ちになっているときには、必ずアクシデントが発生することに気づきました。

この間も、忙しいことで精神的に限界の時に、「一生懸命働いてるのに(一向に暮らし向きがよくなんないじゃん!!)」と感じていた時のこと。

夫婦の関係は最低でしたね。

詳細は書けませんが、正直つい最近、シングルマザーに…ということも考えたりしていました。


…でも、先ほど「働かせてもらってる」っつう彼女の言の葉を読み、涙が出る気持ちになりました。



1年前の今頃は、時間はたくさんあったけれど、なんとなく生きる意味が漠然として、自分の人生がまとまっていない感覚がありました。

今は…完全なる姿とは程遠いけれど、この状況で「働いている」こと自体が感謝なのです。


働いてしばらくすると、就職活動をしていた時の必死な気持ちだとか、働き始めの時の不思議で嬉しいような気持ちだとかが薄らいでくるんですよね。


働くことの代償として、時間とか、失うものも多いことは確かです。


でも、忙しく働く今の姿…というのは、私が心の中描いてきた理想の姿なのかもしれません。

ただ宇宙に意識が共鳴して、今の私に落ち着いてるってこと、だよな。



ちょっと話はずれましたが、やっぱり働いている自分のほうが好きなんだ。

働かせてもらていることが有り難い。

そう感じると、この家の空気もだいぶん柔かくなってきました。(リビングにクーラーなくてだいぶん暑いんだがな…









ありがとうの『あ』は、

宇宙誕生・始まりの音


ありがとうの『り』は、

いまあるものをさらに上に引き上げる上昇の音


ありがとうの『が』は、

誕生を超え、さらに一回り大きくなる音


ありがとうの『と』は、

前の3文字の意味するものを一気に外界に流して、
大きな範囲に広げる音


ありがとうの『う』は、

前の4文字の意味の持つ良いところだけを
ピックアップして人の心と宇宙にあるすべての
いと高き魂の存在たちに、
そのことの良さを伝える音


という強力な周波数で成り立っている語なのだそう。

『成功感性』(佳川奈未著・ゴマ文庫)より抜粋

連弾… [2008年04月27日(日)]

息子がとうとう、ピアノの発表会に出ることになった。

うちの長男、典型的な内向的性格で(私とは正反対だ…)、これもまた、彼の生まれ持った性格なのだと思うので、そのまま放っておいたのだが…。

褒めれば大変伸びる性格、されど、人前に出ることが苦手…。

ここで、気持ちよく彼の才能を伸ばすためにはどうしたらいいのか…。





うむ。 Gum Treeも参加しよう!
(マジかよ…)


私は3歳からピアノを習い始め、本当に好きだった。

多分、一生続けるのだろうな…と思っていたのだが、家庭の諸事情により、高校生に上がる時にピアノを手放し、辞めざるを得なくなってしまったのだ。

今でも時折弾いてはいるが…。

なので、息子をピアノの教室に連れて行くたびに、習いに来ている高校生くらいのお嬢ちゃんたちを見ると、キラキラ輝いているように見え、また、キュンと悲しくもなったりした。

なので、先生から「連弾で出られては?」…と言われた時には、私のピアノ人生がちょっぴり繋がった感じがして嬉しかった〜。


6月始めの発表会に向けて、練習中。

息子には、「自分の心の中の声が、そのままピアノの音になるんよ」と教え、「強い音」と「元気な音」の違いが理解できる模様。

よし、君は大丈夫だ。

万が一ステージ上で間違っても、母の歌でカヴァーしてやろう。(それは無理だ



人前に出ることが嫌いな君も、色んな経験を積めば、ちとづつ自信がつくはず。

Gum Treeなんか、内向的ではないが…ずっと自信ない人生だもんな…。説得力ないか…。

母は、一緒に参加して、一番近いところから君の晴れ舞台を見守ることにするよ。



曲目は…

天空の城ラピュタより、
「君をのせて」


(なかなかシブいやろ




ネットにイヤな過去発見。 [2008年02月17日(日)]


先日mixiを始めてみた。


あまり自分の素性を明かすのも怖いので、公開部分はほどほどに。

自分の好きな趣味のコミュニティーとかに参加できたらいいな…と思いつつ、ほどほどに覗いてみたり。


やめておけばいいのに、とある出身中学校のコミュニティーに、うっかり足を踏み入れてしまった。

私の中学校時代。

親の仕事の関係や、家庭環境の変化が重なり、それぞれの学年を違う中学校で過ごす…というハードな3年間を送った。

友人関係薄。

多分、みんなの私に対する記憶も薄。



中3を過ごした学校は、本当に辛かった。

イジメ。

よくもまぁ、グレなかったなぁ…と自分でも感心するよ。



その中学校で私をイジめてくれたヤツが、トピ主になっているのを発見してしまったのだ。

よくもまぁ、堂々と…。

と、ちょっと思うのだけれど、当の本人は、そんなこともすっかり忘れてるんだろうな。



当時は、私が彼女たちに勝てるのは、勉強しかない!と、必至に勉強した。

今となっては、どこの高校に行こうが大した問題ではないのだけれども、それでも、春になった頃には見返したい。そんな一心だった気がする。

私はまんまと学区内1位の高校には受からずに、滑り止めの高校に行くことになったけれど、彼女たちから逃れられる、同じ中学校から行く人の少ない学校に行くことができて、本当に救われた気持ちになった。



今でも、あの学校の前を通ると、胸がドキドキする。

出来れば記憶を消去したい気持ちになる。






そんな彼女も、めでたく結婚されたようで。

彼女の記憶に私はないけれど、私の心にはずっと影を落としてます。




イジメは絶対許せない。




でも、なんだか平穏無事に彼女が生きているようで、ちょっと安心もしたり。



すんごい複雑な心境です。


パッと見ただけでは、私だと分からないと思うけど、楽しい思い出を共有できる小学校の時の知人には、私のことを発見してほしいな…とほんのり祈ってます。










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