日本は世界で一番性に関するコンテンツが出回っている国ですからねぇ。
普通に書店でエロ本を立ち読みしている小学生がいるほどですし、男の子は子供の頃から性に関する認識が歪みやすい状態に置かれてしまっているんですよね。
日本は風俗が乱れてしまっているから、男性はしばしば自分の自制心を試されているんでしょうね。
ところで僕の好きな歴史的な観点から見て、人類にとって元もと愛と性の認識は同一のものだったと考えています。
先史時代くらいまでは異性に対して好意とか愛という感情を抱き、生殖・出産は神秘的で聖なることだと考え、偶像を作り神に祈っていた。
人々はこの世のあらゆる現象は神の力が働いている捉えており、神々が人間に力を貸してくれるように神殿を建て神官が祈りを捧げていました。
青銅器時代に入り農耕が行なわれるようになると神殿に作物が保存されるようになり神官は権力を握ることになる。こうして権力を握った神官の中から神と同一か神に近い存在だと名乗る者が現れ、自らを王と宣言するようになる。
このように平等であった人類の中に権力を持つものが現れだし権力を持った人間が人間を超越した存在
であるといった認識が生まれだしたころより、今までの万物に神の力が働いているとの宗教観から人間は特別と考えるように変化して行く中で人間の意識の中に愛から分裂した性欲なるものが生まれたのではないだろうかと考えています。
このころの人類の意識の変化は神話の中からも読み取ることが出来ます。
ギリシア神話を歴史的に段階的に見ると、最初愛の神はエロスだけでした。それがやがてオリエントよりやってきたアフ
ロディテ(ヴィーナス)が迎えられ、愛の神は二人になります。この愛が二つに分かれたことこそが人類の中で純粋な愛とは別の性欲の意識が誕生したことを意味しているように思います。
石器時代から青銅器時代に移り、武器が作られ戦いの中で権力は男の者となり、世の中の価値観も男性の手に委ねられ行く過程で宗教観・世界観の変化、肉体と精神の分離など様々な新たな意識が芽生え行く中で、愛から性が分離していったのではないでしょうか。
おそらく、人類の精神史的には肉体と精神は同一では無いとの認識が先に生まれ、続いて愛と性も全く同一ではないとの認識が芽生えてきたのだと思います。
ただ、宗教的に多神教文化圏では肉体と精神が全く別々の物とまで言うように
はっきりとは分けられているという認識は無かったと思います。
キリスト教やイスラム教のような善か悪かと言った二元論的一神教文化圏では肉体も精神も全てが
はっきり別々の物として分けて考えるという特徴はあると思います。
西洋文化の流れの上に立つ現代社会では物事を分かりやすく合理的に一つ一つ分けて考えることが一般的になっているように思います。この認識は日本でも同じで性欲・肉欲なるものは愛とは別だとの考えが当たり前になってきていると思います。さらにそれを割り切ったものと捉えているので風俗産業などアダルトコンテンツが社会で成り立っているのだと思います。
特に日本では思想の統制などありませんから、人々は性に関する表現も自由であり、犯罪に結びつく思想を抱く者も多くなってしまう傾向にあると思います。
長々とアンディさんの主題からいささかずれたことを書いてしまいましたが、歴史的に考察して根底には人間の驕りが性犯罪にも結びついているのだと思います。