郷土の歴史文化掘り起こし隊/聖書勉強会報告
故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていました(房総洋学教育発祥の地)。
そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていました。
今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。
その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。
T 今日(01/19)の聖書/エゼキエル2・1〜3・4 黙示録10・8〜11 マタイ4・18〜25
U 要旨/ 最初の弟子たち
▼「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。」(マタイ4・18-20)
イエスが弟子たちを選んだとき、最初に弟子たちがしなければならなかったのは「捨てる」という行為だった。「網」を捨て、「船」を捨てて、彼らはイエスに従った。
人生の年輪を重ねるほど、私たちの「持ち物」は多くなっていく。その「持ち物」とは、物質的なもの、人間関係、社会的な地位や役割など、さまざまなものが含まれる。
「捨てる」という行為を一回限りの出来事と理解するのは正しくない。弟子たちは、この後、繰り返し「捨てる」ことを求められ、「捨てる」ことを学んでいった。余分なものを捨て去った後に、大切なものが残る。
しかし、イエスは、自分の命を「捨て」、救いの道を開いた。弟子たちはその時初めて、「捨てる」ことの真の意味を知った。
肝心なことは、イエスの心にかなう正しい時と場で「捨てる」ことを学ぶことである。ただ神のみを「持つ」ために、否、神に「持っていただく」ために、自らを捨てることが私たちの重い課題となる。
▼イエスへの服従は、イエスへの信仰告白に先立つ。イエスがガリラヤ湖のほとりで、網を打っているシモンとその兄弟アンデレにかけられた言葉は、「わたしを信じなさい」ではなく、「わたしについてきなさい」であった。
私たちは、信じてから従うのではなく、従う中で信仰を学ぶ。シモンが信仰告白をしたのは、ずっと後であった(マタイ16:16)。彼は従っていく中で、少しずつ、自分が従っている方が誰であるかを悟っていった。
洗礼を受ける時に、必ずしも信仰の確信がもてなくてもいいのでは。信じたいという気持ちがあれば、十分である。求められるのは従うことである。従順の行為においてこそ、信仰が可能となる(ボンヘッファー『キリストに従う』47頁)。
預言者たちも使徒たちも呼びかけられた時、半信半疑のまま、命じられることに従っていった(エゼキエル2:1〜3:4、黙示録10:8〜11等)。その中で与えられた使命を悟り、果たしていくことになる。
逆に、イエスにあこがれ、自ら「従いたい」と申し出ることもある(詩編40:8、マタイ8:9等)。イエスに従うことはそう甘いものではない(マタイ18:24)。従う厳しさを示されて去っていくこともある。それを担っていこうと.する時には、その困難を超える助けと祝福があることも知る。
V 教会の暦では、01/20は 降誕節第4主日/A年
W 今日は孫の好きな「富津ロール」も入手できた。ミカン、干し柿、苺、草餅なども入手したし、笛吹
ワイン2本も頂いた。カメラを持参せず、アップできないので、昨年末プロフィール用に撮った達磨さんを載せます。皆さん似たような画像が多いように感じたので、現在のもの(梟)にしました。年のせいか手抜きが多くなりますね。