今まで、「メタボ攻略」と宣言していましたが、検査の結果では、血糖値の他は、薬を飲んでいる限り、問題なさそうなので、「アンチエイジング(年相応に)」を宣言することに。

メタボ治療薬を服用しつつ、「らくらく」「なめらか」「ダイエットパワー」「フォースコリー」「COQ10」「ブルーベリー&カシアス」「DHA」「パーフェクト野菜」などを毎朝1錠 。3年以上続けています。

体重68s→62s台、体脂肪率26%→22%台、血糖値は下がりつつあるが、基礎代謝量、筋肉量、骨量は減り気味。どこかおかしくないか。

詳しくは、私の必勝ダイエット/4月ネタ [2012年04月08日(日)] を。個々のサプリについてはクチコミパークを。

身体的、地域的、文化的、精神的な活動面はブログの他自己紹介欄を。

(初回ブログ⇒今年の美容⇔健康への取り組み [2012年01月12日(木)] )

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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[80】 [2014年01月11日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/1月例会報告

T 市の出前講座 富津市の総合計画(企画政策課)

総合計画は、「基本構想」「基本計画」「実施計画」から成り立っている。

富津市第3次基本計画:現在の本市最上位計画である富津市基本構想は平成13年度からスタートし、この構想に示されている将来都市像「躍動とにぎわい 安らぎとふれあいの交差するまち ふっつ」を実現するため、これまで第1次、第2次基本計画を定め、これを基本とし、まちづくりに取り組んできた。
 

本計画は、平成22年度で終了した第2次基本計画に続く計画として、平成23年度から平成27年度までを計画期間とし、この間に推進しようとする基本的な施策や、これを計画的・効果的に実現する事業などを示し、本市の行政運営の指針とするもの。

期間:平成23年度から平成27年度

人口目標:平成27年 46,000人

推進テーマ:「安心して子育てできるまち」

重点課題:安全・安心なまちづくり 
     子育てしやすいまちづくり 
     人のつながりが広がるまちづくり
                   (詳しくは、市のホームページへ)

U 平成26年度社会教育団体登録申請について
  原案通り承認。即時提出。

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市宝探訪(自然)

高宕山(たかごやま)のサル生息地 −豊岡− 

ニホンザルは本州・四国・九州・屋久島に分布し、日本の動物として親しまれてきた。

4〜5歳で成熟し、秋から冬に交尾し、妊娠期間5ヶ月で1頭を出産する。

富津・君津・鴨川市などを含む房総丘陵には野生ニホンザルが生息するが、とくに高宕山を中心とする標高300m前後の波状山地には100頭程の群れが約10群確認されている。

高宕山の植生は針葉樹林と広葉樹林からなり、クリ・アケビなどサルの食用になる植物も多い。昭和31年国指定天然記念物。
posted at 21:10 | 郷土の歴史文化掘り起こし隊 | この記事のURL
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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[79】 [2013年12月08日(日)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/聖書勉強会報告[2013年12月07日(土)]  

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

 T 今日(12/07)の聖書 エレミヤ36・1〜10 Uテモテ3・14〜4・8 マルコ7・1〜13

 U 要旨/旧約における神の言 王のヨヤキムはエレミヤが邪魔であった。彼の預言が邪魔であった。それゆえ神殿出入り禁止という仕方で預言者の口を封じた。

しかし、バルクという優秀な書記が登場し、彼によって巻物に書き記されたエレミヤの預言が、直接口頭で演説していたときよりはるかに多くの人に届くようになった。

 エレミヤは喫緊の課題について同時代の同胞に語ったのであるが、その預言が時を超えて、後代の者たちに神に従う道を教える普遍的な価値を持つに至った。人間の姑息な妨害が、神の言葉を広める契機として用いられたのである。

 バルクは巻物を携えて神殿へ行き、預言を読みあげる。それを聞いて恐れを覚え、この預言を王に伝えねばと考えた役人たちがいた(エレミヤ36・16)。彼らはエレミヤに臨んだ主の言葉によって自分たちの危機を知ったのである。

神の言葉を真剣に聴くこと、それは自らの危機を知らされることである。そして危機を知らされることこそが命の道への第一歩である。逆に言えば、もし人が己の危機を知らされて震えるということがないなら、まだ真剣には聖書の使信に耳を開いていないということである。

 誰よりも熱心に主の言葉を聴くべき立場の王、ヨヤキムはどうしたか。彼はエジプト依存、対バビロニア抗戦論に固執していた。それと正反対のことを告げるエレミヤの預言を耳にしたくない彼は、巻物を裂いて暖炉の火にくべてしまった(23節)。

巻物を燃やせば主の言葉が消えると思ったのだろうか。愚かなことである。書記バルクは苦もなく預言を書き直す。さらに言葉を書き足しさえして(32節)。

「しかし、神の言葉はつながれていません」(2テモテ2・9)。聖書をクローゼットの奥にしまいこんでも、主の言葉が自分に語りかけるのを止めることは決してできない。

 主はバルクに「読み聞かせなさい」と命じた。人間はそれをしっかりと聴かなければならない。読む、そして聴くということは、主の言葉をしっかり受けてよく考えよ、ということである。主の心を知って、自分自身を見つめ、進んで悔い改めよ、ということである。

神は愚かなまでに忍耐深く待つ神である。民が自ら向きを転換するのをどこまでも期待する神である。首に縄をつけて連れ戻すのではなく、催眠をかけて誘導するのでもなく、読み、聞き、よく考えて自ら悔い改めるのを待っ神である。

終末を強く意識するこの期節、「読みなさい」という主の語りかけに畏れをもって応えたい。

アドヴェントの時期には、典礼色として紫が用いられる。紫は悔い改めを表し、アドヴェントには主の来臨に備えて悔い改めることが求められる。

V 教会の暦では、 明日(12/08)は、B年 降誕前第3主日 待降節第2主日

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富津市古墳の里ふれあい館

富津市北部、JR内房線青堀駅周辺には、南関東最大の前方後円墳である内裏塚古墳を中心とした「内裏塚古墳群」(確認総数48基)が分布しています。

古墳の里ふれあい館は、内裏塚古墳群のガイダンス施設というべきもので、館内には各古墳の写真パネルが展示され、古墳群の見どころなどを解説してあります。古墳群の範囲には江戸時代の飯野藩・保科家の「飯野陣屋」、大貫駅から10分の弁天山古墳のもとには田沼意次の末裔・意尊の「小久保藩陣屋跡碑」などの史跡もあります。

館内には「古墳群・文化財マップ」のほか、富津市の観光案内やパンフレットなどもあわせて用意しております。古墳群見学の際には、是非お立ち寄りください。

所在地:富津市大堀2201/JR内房線青堀駅下車、跨線橋を渡って駅の反対側
年中無休/午前9時〜午後5時/無料/WC24時間利用可能

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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[78】 [2013年11月30日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/聖書勉強会報告 

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

 T 今日(11/30)の聖書   
イザヤ51・4〜11Iテサロニケ5・1〜11マルコ13・21〜37

 U 要旨/主の来臨の希望 
「奮い立て、奮い立て」「力をまとえ、主の御腕よ」(イザヤ51:9)は神への訴えである。

昔のように力ある業をしてみせよという。神の腕は人間に叱咤されねば動かないとでもいうのだろうか。

このような不遜な抗議が預言の中にあえて織り込まれているのは、捕囚地(バビロン)にあるユダの人々が不安と懐疑と悲観にすっかり心を支配されていたからであろうか。

ペルシア王クロスからエルサレム帰還と神殿再建の許しが発せられたにもかかわらず、民は立ち上がらなかった。帰ってよいと言われても、出発をためらう状況が眼前にあった。

「破壊と破滅、飢餓と剣……どの街角にもあなたの子らが力尽きて伏している」(イザヤ51:19〜20)という荒廃した都。捕囚地バビロンから祖国(ユダ)への危険な道のり。

長年のバビロン捕囚生活をしてきた人々の不信と懐疑と恐れは、根の深いものであった。しかし預言者は屈しない。「わたしに聞け」という神の言葉を語り続ける

。「主に贖われた人々は帰って来て喜びの歌をうたいながらシオンに入る」(イザヤ51:11)という予告は、最終的に人々の恐れと疑いに打ち勝つ。

「深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる」(イザヤ54:7)という神の呼び声が民の心を揺さぶり、動かす。

 「正しさ」「正義」、「恵みの業」(イザヤ51:5、6、8)はヘブライ語では同じ「ツェデク」である。預言者の強調点は、神の正しさにある。自分たち自身の正しさや他国に頼ろうという計算などに頼っては帰還できる状況ではない。旅する根拠は神の正しさのみである。

「わたしの正義は近い」という神の言葉を頼りに、危険な荒れ野を旅をし、荒廃した都(エルサレム)に帰還する。それ自体が神の救いの歴史の証人となることである。預言者の目から見るならば最大の危機こそ最大の好機であった。

 イザヤは、どのように神の正しさがもたらされると考えていたのか。「人に嘲られることを恐れるな」(イザヤ51:7)は、「主の僕」とのつながりを想起させる表現である。

「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている」(イザヤ53:3)。2000年前、ベツレヘムで飼い葉桶に寝かされた幼子(イエス)が、苦難の僕として生きることを自らの使命とし、十字架への道を選び取ったことを知っている。

神の正しさ、正義、恵みの業はその方(イエス)においてはっきりとこの地に示されたのだ。

 主は近い。アドヴェントの始まるこの主日、神の正しさを待ち望もう。闇が深くても、先が見えなくても、イエスを受け入れた者は確信をもって進むことができる。

V 教会の暦では、 明日(12/01)は、降誕前第4主日・待降節第1主日B年

 W 帰りにいつものスーパーで初物の苺、干し柿などを求め、混雑を避けて、3時頃に  は千葉に着けた。
帰宅してから、銚子から出店している「大和」の出店の「飛びっこ」へ、家内と長  男と3人で、お寿司を食べに行った。格安で美味しいという印象を受けた。

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千葉ポートタワーCサイドクリスマス

千葉ポートタワーの壁面に高さ100m・幅30mの巨大なクリスマスイルミネーションツリーが点灯する。千葉港の澄んだ冬空をカラフルな電球やソフトネオンで彩る。クリスマスにちなんだ音楽に合わせてツリーが変化するイルミネーションショーも必見。その他、観光船に乗ってクリスマスツリーを海上から眺める、ナイトクルーズを実施。千葉港にひしめく工場の煙火やダイナミックな夜景とツリーのきらめく光のふたつが存分に楽しめる。恋人の聖地となって、ロマンチックで温かいイルミネーションツリーが皆を迎えてくれる。
posted at 23:48 | 郷土の歴史文化掘り起こし隊 | この記事のURL
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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[76] [2013年11月09日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/11月例会報告

T 市の出前講座 富津市の環境問題 環境保全課

微小粒子状物質(PM2.5)について

11月4日(月)に関東地方では初めて微小粒子状物質(PM2.5)の注意情報が発令され、富津市においても防災無線、安心安全メールでお知らせしました。

1 微小粒子状物質(PM2.5)とは 大気中に気体のように長期間浮遊しているばいじん、粉じん等の微粒子のうち、粒径2.5マイクロメートル以下(2.5mmの1000分の1)のものを微小粒子状物質としてPM2.5と呼んでいます。

PM2.5は非常に小さいため(髪の毛の太さの1/30程度)、肺の奥深くまで入りやすく、呼吸器系への影響に加え、循環器系への影響が心配されています。

2 発生原因 PM2.5の発生源は多岐にわたっています。物の燃焼などによって直接排出されるもの(一次生成)と、大気中での化学反応により生成されたもの(二次生成)とがあります。

一次生成粒子の発生源としては、ボイラー、焼却炉などのばい煙を発生する施設、コークス炉、鉱物の堆積場等の粉じんを発生する施設、自動車、船舶、航空機など人為起源のもの、さらには、土壌、海洋、火山等の自然起源のものもあります。また家庭内でも、喫煙や調理、ストーブなどから発生します。

二次生成粒子は、火力発電所、工場や事業所、自動車、船舶、航空機家庭などで燃料を燃焼することによって排出される硫黄酸化物(SOx)、窒素酸化物(NOx)、溶剤・塗料の使用時や石油取扱施設からの蒸発心森林などから排出される揮発性有機化合物(VOC)等のガス状大気汚染物質が、大気中で光やオゾンと化学反応して生成されます。

3 環境基準

年平均値(平成21年9月設定) 15μg/m3以下かつ1日平均値35μg/m3以下

この基準は、人の健康を保護する上で維持することが望ましい基準として定められています。(環境基本法第16条第1項)

健康影響が出る可能性が高くなる濃度水準として、注意喚起のための暫定的な指針となる値が1日平均値70μg/m3と定められています。

できるだけ早い段階で注意喚起を促すために、この値を1時間の値で評価し、1時間値が85μg/m3を超えた場合に注意が必要とされています。

ただし、「呼吸器系や循環器系の疾患のある人、小児や高齢者などでは、これより低い濃度でも健康被害が生じる可能性は否定できないとされています。
国は、この暫定的な指針となる値についてデータの蓄積等を踏まえ、必要に応じて見直し

4 健康への影響 PM2.5は粒子の大きさが非常に小さいため、肺の奥深くまで入りやすく、喘息や気管支炎などの呼吸器系疾患への影響のほか、肺がんのリスクの上昇や循環器系への影響が懸念されています。

PM2.5濃度の注意情報が発令されても直ちに健康に影響があるわけではありません。

5 対策

@屋外での長時間の激しい運動や外出をできるだけ減らすことが有効です。

A窓を開けておくと屋内のPM2.5濃度は屋外のPM2.5濃度と同等の値になると推測されることから、窓の開閉や換気は必要最小限にすることが有効と考えられています。

Bマスクの着用により、ある程度の効果が期待できます。その際空気が漏れないように顔の大きさにあった物を着用しなければ十分な効果が期待できません。
医療用や産業用の高性能な防じんマスクは、微粒子の補集効率の高いフィルターを使っておりPM2.5の吸入を減らす効果があります。

CPM2.5濃度が高い時には、洗濯物を室内に干すと有効とされています。

6 その他 PM2.5は、冬から春にかけては濃度の変動が大きく、上昇する傾向がみられるため、冬に向けて注意が必要です。

7 PM2.5について多く寄せられる質問

@農作物に対する影響は? PM2.5が農作物へ付着することが想定されますが、懸念されているPM2.5の影響は主に呼吸器系へのものであり、摂
食による健康影響はこれまで報告されていません。

APM2.5と黄砂の関係は? 黄砂は、東アジアの砂漠から強風により大気中に舞い上がった砂が浮遊しつつ降下する現象です。

黄砂が飛来する過程で、大気汚染物質の発生が多い地域を通過する場合、黄砂とともに汚染物質も飛来してくることがあり、黄砂の飛来に伴ってPM2.5濃度も上昇している時には注意してください。

BPM2.5と花粉症の関係は? 現時点では花粉とPM2.5の複合影響については、はっきりしたことはわかっていないのが現状です。

過去の動物実験では、PM2.5の一部であるディーゼル排気粒子が鼻アレルギーなどを悪化させるとの報告もありますので、PM2.5濃度が高いときには注意してください。

8 最後に 富津市では、PM2.5濃度が高く注意が必要な場合は、防災無線、安全安心メールで注意喚起を行っています。

注意情報が発令された時は、不要な外出は避け、体調管理には十分注意してください。

U 文化祭の状況報告

V 26年1月〜6月の予定表の完成配布(黄色)

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富津市のパワースポット 有限会社 宮醤油

醤油店は、天保5年(1834年)に創業された老舗の醤油店で、平成19年(2007)建物9件が国の登録文化財に指定されました。

現在残る建物のうち、店蔵が江戸末期に、西蔵が明治5年に、店舗・主屋・脇蔵が明治25年に、東蔵・旧米蔵が明治40年に、奥蔵が大正8年に、離れが大正14年にそれぞれ建てられ、江戸末期から明治・大正期の集合的な建築物として貴重な存在です。

なお、伝統の木桶と土蔵にすみついた無数の酵母が、鉄分の少ない良質の湧水とともに、味わい深い醤油を造り出してくれます。

味わい深い「たまさ醤油」の醸造元の工場見学もできます。
.●所在地 〒293-0058 千葉県富津市佐貫247
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後期高齢者―館山道で故郷へ[75] [2013年11月02日(土)]

郷土の歴史文化掘り起こし隊/聖書勉強会報告 

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

 T 今日(11/02)の聖書

■創世記4・1〜10 ◆カインとアベル
4:1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
4:2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
4:5 カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
4:6 主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
4:7 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
4:8 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
4:9 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
4:10 主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。

■Iヨハネ3・9〜18 ◆神の子たち
3:9 神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。この人は神から生まれたので、罪を犯すことができません。
3:10 神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。
◆互いに愛し合いなさい
3:11 なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。
3:12 カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。
3:13 だから兄弟たち、世があなたがたを憎んでも、驚くことはありません。
3:14 わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。
3:15 兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。
3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
3:17 世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。
3:18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。

■マルコ7・14〜23
7:14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
7:15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」
7:16 (†底本に節が欠落 異本訳) 聞く耳のある者は聞きなさい。
7:17 イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。
7:18 イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。
7:19 それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」
7:20 更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。
7:21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、
7:22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、
7:23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

 U 要旨/堕落

▲なぜ神はアベルにのみ目を留められたのか。誰もが抱く疑問である
テキストに即していえば、アベルはヘベル(息、はかなさ、空虚さ、無価値)であって、カーナー(形作る)を語源として力強い生命力を表すカインと対照をなしていることが鍵である。
神は弱い者を顧み、特別な恵みをお与えになったのだ。イスラエルが神の民として選ばれたのは、「他のどの民よりも貧弱であった」(申命記7章)からであるのと同じように。

しかしヤハウィストの時代、イスラエルは強国となり弱小勢力をなぎ倒す力を持つものとなっていた。だからこそ兄弟との関係の破壊を描くこの物語が語られたのだろう。

弟だけが祝福を受けたことにカインは激怒する。彼は弟と自分を比べたのだ。競争の構図において比べたのだ。耕作と牧畜という異なる領域が兄弟に与えられたのは示唆的である。

野菜も必要であり、羊毛や羊肉も必要なのだ。不遇をかこつ人は必ず存在するし、だからこそ好調の時を過ごす人も必要なのだ。あい補うために兄弟がいる。

しかし比べ始めたカインは、弟も神も怒りの矛先とし、顔を伏せてしまう。顔を上げられない兄は罪に支配されてしまう。兄の選択は弟を消すことであった。

「○○さえいなければ」と人は時として考える。「あの人さえいなければ」、そう考える時、私は既に心の中でその人を抹殺し始めているのではないか。

主は「お前は罪を支配せねばならない」と警告する。しかし顔を伏せる者は、罪に支配されてしまうのだ。

強者は弱者を消し去ることができる。しかし神の問いかけは絶対に消えない。「お前の弟はどこにいるのか」。この問いから逃げることはできない。あなたの大切な兄弟はどこにいるのか。いくら「知りません」と言おうと、血が土の中から叫ぶのだ。

イエスに従う者はこの物語をどう読むか。それは、イエスぬきには受け止められない課題である。

イエスはアベルのように消された。この世に人間として来られた神の子は、妬まれ、激しい怒りをかって殺された。大地に血が流された。その血は我々罪人への呪いとして、我々を追いかけ苦しめるものとなったのではなかった。

その血は、罪人をゆるし、救いを与える新しい契約となったのだ。イエスの血によって新しい命を与えられた人々にとっての課題とは、イエスにあってカインをやりなおす.ことではなかろうか。顔を上げ、妬みと怒りに終止符を打ち、兄弟と共に生きる者として、もう一度カインをやりなおすのだ。       89

▲どうして、神はアベルとその献げ物に目を留め、カインとその献げ物には目を留められなかったのだろうか(創4:4〜5)。新約聖書は、カインのほうが悪かったこと(1ヨハネ3:12)、アベルの献げ物のほうが優れていたことを暗示するが、それはわからない。

ここには神の自由な選びがある。神は人間の道徳規準、価値基準に従って行動するわけではない。「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)。

神なりのえこひいきはあるかもしれない。神は弱い者、小さい者に心を留められる。ここでも弱く、小さな存在であるアベルのほう.を顧みられたのかもしれない。カインは長男として、より強い者、より祝福された者、どんなことでも最初の権利は自分にあるという思いの中で成長したのではないか。

「カイン」という名自体、「得た」という親の喜びを表し、他方、「アベル」の名は「はかなさJ「無価値」を表している。カインにとってアベルは決して対等な兄弟、隣人ではない。人は自分が恵まれている時は案外それを当たり前のように感じているが、一たびそれが逆転すると、それまでのことを忘れ嫉妬に燃え始める。

神はカインがアベルを殺したのを見過ごさない。「弟アベルは、どこにいるのか」という問いは、アベルのための問いであると同時にカインのための問いでもあった。これ以降の
物語は、「主が目を留められなかった」カインを中心にして展開する。主はカインを選ばれなかったのではなく、カインに「私が弱い者をひいきにするとき、お前もそれを一緒に喜んでくれるか」と招かれたのかもしれない。

私たちが、この世界で他者と共に生きる時、「お前はどこにいるのか」(創3:9)という問いは、必然的に「お前の兄弟はどこにいるのか」という問いを含んでくるのである。

  V 教会の暦では、 明日(11/03)は  降誕前第8主日 B年

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富津市のパワースポット  不入斗六所神社獅子神楽 

不入斗(いりやまず)六所(ろくしょ)神社に奉納される神楽(かぐら)は「岩戸神楽」と呼ばれ、笛・太鼓・唄などの数曲を組み合わせて、神楽獅子が構成されています。

 この神楽は、2人立ち1匹獅子で、その所作は、雌獅子の柔らかな女踊りです。

この一頭の獅子頭を2人で演じます
.
奉納の獅子頭は約30分にわたって演じられます
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後期高齢者―館山道で故郷へ[74] [2013年10月19日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/聖書勉強会報告 

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

 T 今日(10/19)の聖書/イザヤ33・17〜22 黙示録7・9〜17 マタイ25・1〜13
 
U 要旨/天国に市民権をもつ者

伝統的な教会暦ではアドヴェントの前の週が最終主日とされている。
この日の福音書のテキストとなっている「十人のおとめ(マタイ25・1〜13)」の喩えは、古くから教会暦の最後の主日(最終主日)に読まれてきた。この主日、信仰者が共にこの世の終わりに目を向け、自分たちがどこに向かっているのか、そしてそこには何が待っているのかを聖書に聞くことは意義深いことである。

ここで描かれている婚礼の宴は、この時代の人々が思い浮かべることのできる最も喜ばしく、待ち遠しい時であったに違いない。

「未だ知らぬこの喜び、ハレルヤ ! われらうたもてほめたたえよ ! 」この最終主日に歌われてきた讃美歌230「『起きよ』と呼ぶ声」にも、婚礼の華やかな喜びが溢れている。

この賛美歌が生まれてきた背景には、ペストに襲われた人々の死に対する大きな恐怖と深い絶望という現実があった。現実の死に直面する人々のために書かれた賛美歌である。

イエスを受け入れた者たちは将来の見えないような現実の中で、神が備える終末の喜びに満ちた祝宴に目を向けた。

ヨハネ黙示録が描き出す終末的な光景も、壮大で輝かしい。
現代においても、多くの人々が先の見えない絶望的な思いを抱えている。このような時代にあって、喜びと希望に満ちた幻を聖書の言葉から聞き取り、その幻を力強く語り続けたい。

「この白い衣を着た者たちは、だれか」「彼らは大きな苦難」を通って来た者……である」(黙示録7:13〜14)

紀元2世紀、ローマ帝国は皇帝への礼拝を要求していたが、当時のクリスチャンたちは「イエスこそキリストである」という信仰を貫いて、激しい迫害を受けた。そうした中、ヨハネの黙示録は終末論的に天上世界を垣間見ることで、現実の苦難と迫害を耐えぬく励ましを与えた。

現代でも世界各地で宗教的理由、政治的理由で迫害を受けている人たちが大勢いる。
黙示録の言葉を精神的・肉体的苦難に対する慰めと励ましと読むことも許されるであろう(同16〜17節等)。

「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれも数えきれないほどの大群衆」(同9節)。天上世界は、神の意志が行き渡り、それが実現している場所である。だからこそ私たちは、「御心が天になるごとく、地にも行われますように」と祈る。

「まことに、主は我らを正しく裁かれる方。……主は我らの王となって、我らを救われる」
(イザヤ33:22)。
「主よ、あなたは人をも獣をも救われる」(詩編36:7)


V 教会の暦では、 明日(10/20)は 聖霊降臨節第24主日(聖霊降臨節最終主日)  A年 

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富津市のパワースポット鋸山

鋸山は南房総国定公園に指定されており、標高329メートルの山は、夏涼しく、冬暖かい温暖な気候に恵まれ、四季を通して観光客の絶えない場所として親しまれています。

海、山、遠くには富士山、天城山、伊豆大島が見渡せ、360度のパノラマです。

元日は、ロープウェイの早朝特別運転を実施し、初日の出スポットとして、人気があります。

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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[73] [2013年10月12日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/10月例会報告

 市の出前講座は今回は都合により取りやめとなり、藤平会員から「富士信仰−富津の富士講・富士塚−」について研究発表が行われた。

1 ユネスコ世界文化遺産「富士山」…信仰の対象、芸術の源泉として25の資産が登録されている。資産は、@富士山域(山頂の信仰遺跡、登山道他)A神社(本宮、山宮、村山、須走、河口他)B御師住宅C富士五湖・忍野八海D胎内樹型、人穴遺跡、白糸の滝、三保の松原に類別される。

2 富士講の起源(1)山岳信仰 古来、山は神々の住む場所として畏敬され、崇拝の対象となってきた。
(2)修験道 仏教が伝わると従来の山岳信仰に仏教が習合して修験道が生まれた。
(3)富士講 修験者長谷川角行かこれまでの修験道と一線を画する富士信仰を創唱する。
これが富士講の起源となる。
※富士山を「明藤開山」と呼称して神格化し、富士山が万物を生成したとする。

3 食行身禄
(1) 生涯 寛文11年(1671)、三重県の農家の生まれ。江戸に出て親類の店で奉公。やがて独立、富裕な呉服商となり、薬種店や太物店、灯油店も出す。
60歳のとき、富士山頂釈迦の割石で行をしていた際、お告げを受け、巨額の資産を親類縁者に分配し、油の行商人となる。修行者となった身禄は、江戸の町々を油の行商をしながら教えを説いて回ったが、人々の多くはその粗末な身なりから「乞食身禄」と蔑んだ。
享保18年(1733)に富士山七合五勺の烏帽子岩で入定することを宣言し、三十一日間の断食行の末命を絶った。
(2) 思想 庶民に道徳的で質素な生活を送ることを説き、神主や僧侶が信徒から金銭を吸い上げていることを批判し、信仰とは木仏絵像を拝むことではなく、心を正しくして神仏と向かい合い自主的な祈りを捧げることだと主張した。著作の中で庶民の願いや不満を代弁し、労働を尊び男女同格を訴えた。

4 富士講の隆盛 身禄の死後、弟子たちは富士同行という講を作り、これが親講となって枝講が次々と生まれ、できた講には作った人の名前が付けられた。
富士講は、江戸中期には江戸八百八講と呼ばれるまでに盛んになった。

5 富士塚 安永8年(1779)に身禄の弟子高田藤四郎が新宿高田の水稲荷神社の境内に老人や子供さらに女人禁制のため富士山に登れない女性のため模造の富士山を築造する。これが江戸中で評判となり、各地の富士講が富士塚を築くようになった0

6 千葉県の富士講 江戸で盛んとなった富士講は、次第に周辺地域へ伝わり、千葉県へは天明年間を皮切りに寛政・文化期に江戸富士講各派が進出している。
こうしたなか県内で勢力を拡大したのは、木更津を本拠とする「山水講」と市原市五井を拠点とする「山包講」であった。
(1) 山水講 木更津の貝渕で生まれた講で、開祖は穐行日穂、二代目は五井の穐月常行、三代目は笹毛の清山光行である。開祖穐行のことは、富士宮市人穴の山水講の墓に「文政
六午年六月十六日上総木更津住水穐行日穂」とある以外はほとんど知られていない。
(2) 山包講 天明年間に江戸日本橋の先達が市原の青柳村で布教した後、五井を中心に広がり、江戸を凌ぐほどになった。講祖は、江戸で蝋燭屋をしていた修山禅行(包市郎兵衛)で講紋は笠印に包の字をあしらっている。

7 富津市の主な富士塚

神社名   所在地   築造年      講名

諏訪神社  千種新田  明治10年: 山水講
千草川神社 岩瀬    明治41年  −
浅間紳社   富津,    明治7年 山水講
神明神社   大堀    明治6年 山包講
神明山    下飯野   明治8年 山水講
鶴峯八幡神社 八幡   大正7年 山水講
神明神社   湊     明治15年   山水講

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富津の祭り/馬だしまつり

吾妻神社は、日本武尊の身代わりとして、走水に入水した弟橘媛の遺品を祭ったと伝えられています。

神霊を馬の上に移して、若者が馬の手綱をつかみ砂浜を駆け回る勇壮な神事。
毎年9月17日に岩瀬海岸で「馬だし」が行われるところから馬だし祭りの名称として毎年大勢の見物客で賑わっています。

その勇勢は、かつて馬や牛と生活を共にしていた時代をしのばせます。
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後期高齢者―館山道で故郷へ[72] [2013年10月05日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/聖書勉強会報告  故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

 T 今日(10/05)の聖書/申命記4・1〜8 ローマ13・1〜10 マタイ22・15〜22

 U 要旨/上に立つ人々 「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(ローマ13:1)

パウロは、終末の到来を間近にして、信仰者が宗教的に熱狂して現実の社会を無視したり、逆にローマ帝国への政治的抵抗から崩壊を招いたりすることのないように、という思いで語ったのでは。

ルターは、この言葉(ローマ13:1〜7)やイエスの「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)という言葉から、「二王国説」を展開した。

それは、「政教分離の原則」生みだしたが、教会は政治がどうであろうと関与しないという二元論をも産みだした。

ナチス・ドイツの時代に、教会が無力化されていく中、ボンヘッファーは、二元論を克服する倫理を打ち立てていく。

「例えば政治的権威が、教会の信仰を支配する主となることによって、ある地点でその委託の範囲を踏み越えるならば、その時にはその地点で、服従は、良心のために、主のために、拒否されるべきである」(ボンヘッファー『現代キリスト教倫理』392頁)。

バルトが起草したとされる「バルメン宣言第五項」も次のように謳う。「国家がその特別な委託をこえて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、従って教会の使命を果たすべきであるとか、そのようなことが可能であるというような誤った教えを、われわれは退
ける」
(雨宮栄一『バルメン宣言研究』21頁)。

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)ということも、二つの領域が並列的にあるように聞こえるが、決してそうではない。

皇帝も、根本的には「神のもの」であることを見落としてはならない。上に立つ者は、その神の前で、謙虚にならなければならないし(詩編52編3節)、国家が神の意志に反して進んでいるような時には、勇気をもって「否」といわなければならない。

V 教会の暦では、 明日(10/06)は 聖霊降臨節第21主日  A年 

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富津市のパワースポット/竹岡のヒカリモ発生地

ヒカリモは洞穴やトンネルなどの水溜りに群生し、菜の花の咲く頃(3月〜5月)になると、外からの光線を反射して黄金色に輝きます。

「竹岡のヒカリモ発生地」のように毎年多量に発生する所は他になく、我が国最初の発見地として、指定基準「池泉等の珍奇な微生物等の生ずる地域」に該当し、昭和3年(1928年)11月30日、国指定天然記念物に指定されました。

この発生地は国道127号線沿いの広さ3〜4畳敷程、高さ約3メートル、水深約70センチメートルの海蝕洞穴で、海岸暖地のためか池水の氷結や枯渇がなく、県花「ナノハナ」の開花期に水面いっぱいに黄金色を現出するため「こがね井戸」とも呼ばれています。
posted at 18:19 | 郷土の歴史文化掘り起こし隊 | この記事のURL
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後期高齢者―館山道で故郷へ[71] [2013年09月29日(日)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊聖書勉強会報告[2013年09月28日(土)] 故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

 T 今日(09/28)の聖書/ヨシュア6・1〜20 ヘブライ11・17〜22,29〜31 マタイ21・18〜32

U 要旨/信仰による生涯 ヘブライ書11章は、信仰について語る。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブライ11章1節)と味わい深い言葉で始め、旧約聖書の様々な人物の「信仰による生涯」を紹介する。

そこで挙げられる信仰の実例は、1節で述べられた「確信し、確認する」という内面よ
.りは、「信仰によってどう行動したか」に重きが置かれているようである。例えば、「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました」(同17節)というふうに。

その意味で、「信仰による行い」を重視したヤコブ書に通じるものがある(ヤコブ2章17〜18、21〜22節)。

遊女ラハブの信仰は、自己中心的なものであったと言えるが(ヘブライ11章31節、ヨシュア2章12節、同6章17節)、その信仰に基づく行動のゆえに、神に喜ばれた。
人が神によって認められるのは、その出自やこの世的な地位や評価によってではない。
その人が、信仰によって生きたかどうか、ということだけが問われている

「二人の息子」のたとえ(マタイ21章28〜32節)も興味深い。返事はよいが、行動が伴
わない弟(同30節)と、返事は悪いが、行動はよかった兄(同29節)の対比である。
大事なことは、どう行動するかである。

イエスは、葉ばかり立派で実をもたらさないいちじくの木を枯らせてしまった(マタイ
21章19節)。これも形ばかりで、内実を伴わない信仰を批判されたのであろう。

ヘブライ書は、この地上にあって信仰に生きた人々の名前を挙げていく。信仰がアブラハムからイサク、ヤコブ、ヨセブへと受け継がれていくことは、時代と世界の状況は変わっても、信仰の本質は変わることなく、あらゆる時代の人々によって担われ、受け継がれてきたことを力強く物語っている。

盤石のエリコの砦は武器を用いることなしに信仰によって崩れ落ちた(ヨシュア6・1〜20)。イエスも言う。「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」(マタイ21・22)
実際、この世界の歴史においても、多くの信仰者が、その信仰によって自分の人生を変え、そして世界を変えてきたことを私たちは知っている。

目には見えないものを信じながら、その生涯を歩み抜いた信仰の先人たちのことを思うとき、少なからず厳粛な思いに満たされずにはおれない。
あなたは「何によって」生きているか、と。

ヘブライ書は、必ずしも信仰のゆえにすべての人が平穏で幸いな生涯を送ったのではなく、信仰のゆえに苦しみ殺された人々がいたことも語っている。信仰者たちの人生も波風の立たない、破れのない人生ではなかっただろう。しかしその中でこそ信仰は強められ、確かなものとなっていったにちがいない。人は、この地上にあって、そのような信仰者の群れに囲まれ、励ましを受けながら共に信仰の道を走る存在なのだ。

V 教会の暦では、 明日(09/29)は 聖霊降臨節第20主日  A年 

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富津市のパワースポット 鋸山石切場・車力道

標高329mの鋸山は金谷石(房州石)の産地として知られた。
石の切り出しは江戸時代に始まり、明治・大正期には盛んに関東一円に出荷されたが、昭和50年代でその歴史を閉じた。

車力道は石切職人が木製の荷車に石材を載せ、山から運び出した道である。
鋸山ロープウェーの山頂駅の会館には、石切りの歴史をパネルで展示した「石切りコーナー」が設けられている。

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後期高齢者―館山道で故郷へ[70] [2013年09月23日(月)]

郷土の歴史文化掘り起こし隊/聖書勉強会報告[2013年09月21日(土)]

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

 T 今日(09/21)の聖書/コヘレト3・1〜13 Uテサロニケ3・6〜13 マタイ20・1〜16

U 要旨/労働の意味「わたしたちは、『働きたくない者は、食べてはならない』と命じていました」(Uテサロニケ3・10)。「働かざるもの食うべからず」という言葉はこのパウロの言葉に由来する。

「働きたくない者は、食べてはならない」(同10節)という言葉は、その文脈では意味があるが、原理化されてはならない。働きたくても働けない人や勤労世代以外の人が、自分が否定されたと誤解しないような、配慮が必要である。

働きたくてもさまざまな理由によって働くことができないことで、周囲から責め立てられているような肩身の狭い思いをしている人々がいる。そのような多くの人々が聖書(教会)に救いを求める。
「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい」(Uテサロニケ3・12)という言葉から、「自分のものではないパン」を食べる人々、あるいは社会的経済的な仕組みのことを考えるべきなのかもしれない。

今日この国の社会においても、労働を搾取され、やる気を搾取され、いくら働いても正当なパンを与えられない人々があり、一方では他者が得るべきパンまで不当に得ている人がいる。それは「落ち着いて」仕事をすることではあるまい。

今日の使徒書の言葉は、この主日の福音書の言葉の光のもとで読まれるべきであろう。そこには憐れみに満ちた雇い主の労働への招きがある。「それでも払ってやりたいのだ」と言われる方のもとで、人間にはそれぞれにふさわしい、なすべき仕事が与えられる。その雇い主は、仕事の能力や労働時間によってではなく、雇い主の基準で労働者を評価し賃金を支払う。そこには、その人が必要なだけのものを支払いたいという神の愛がある。

神が人間の生涯において一人一人に与える仕事は、私たちが「職業」として考えるものよりもはるかに多種多様であるにちがいない。「人のためになっていない」と思う人をも神はふさわしく用いられる。ドイツ語(Beruflでも英語(Vocation)でも「職業」は神からの招きだという考え方がある。この世界に生きるすべての人は、すべての人々とパンを分かち合いながら、共に働くことへと招かれている。

コヘレトも語る。「人だれもが飲み食いしその労苦によって満足するのは神の賜物だ」(3・13)と。パンも仕事も、みんなで分かち合うべき神からの賜物である。80

 終末が近いということで、今の生活はどうでもよいと考え、怠惰な生活を送る人が多く
いたということが、第ニテサロニケ書の主な執筆動機である(IIテサロニケ3章6節)。

著者は、そこで「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい」(同12
節)
と勧める。終末はいつ来るかわからない。

それゆえに、「たとえ明日来てもいいように」備えをするということは、「明日来なくても困らないように」堅実な歩みをするということと表裏一体である。「明日、世界が滅びようとも、私はリンゴの木を植える」(ルター)という姿勢が求められる。

主に従って生きる生活は、主人に雇われてぶどう園で働くようなものである(マタイ20
章i〜16節)。それは決して楽なことではないが、実は「働ける生活」そのものに価値があり、報いがある。その中に安心があり、喜びがある。.夜明けから雇われてぶどう園で働いた労働者は、そのことに気づいていなかったので、夕方から来た人と同じ賃金であったことに不平を言った(同ll節)。

洗礼を受けてクリスチャンになる「時」も人によって違う。若い頃に洗礼を受ける人も
あれば、年老いて死ぬ間際に洗礼を受ける人もある。もしも天の国の報いが同じだとすれ
ば、好き放題の人生を送り、最後に従うほうが「得」なのだろうか。

そうではない。それぞれにふさわしい「時」があり(コヘレト3章1〜8節)、若い頃から主に従ってきた者も、その「時」を喜び楽しんで一生を送る(同12〜13節)。仕事と日々の生活がそのように祝福されたものであることを祈る(詩編90編14、17節)

V 教会の暦では、 明日(09/22)は 聖霊降臨節第19主日  A年 

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富津市のパワースポット

もみじロード 志駒川に 沿って走る県道182号(上畑湊)線に、延長約10kmにわたって続く、通称「もみじロード」があります。

県内屈指のもみじの名勝として、約1000本のもみじが生い茂り、見ごろである11月下旬には、晩秋の木漏れ日の中、鮮やかな紅葉が観られます。

地蔵堂の滝(白糸の滝) もみじロードの途中にある滝。
勇壮な滝の音を聞きながら、鮮やかに染まる紅葉を観ることができます

posted at 18:37 | 郷土の歴史文化掘り起こし隊 | この記事のURL
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