今日は、Terry Fox Run のための特別な学校集会がありました。
テリー・フォックスとは、癌の研究資金を募るために
カナダ横断を試みた義足のマラソンランナーです。(
Wiki参照)
彼はカナダでは伝説に残る英雄で、硬貨にもデザインされました。
そして、彼の意志を受け継ぎ、
1981年のカナダに始まり今では世界中で、日本や中国でも、
テリー・フォックス・ラン(ランニングに参加するイベント)
が行われています。
学校でも、このイベントのTシャツを販売していました。
売り上げはすべて、癌の研究資金として寄付されます。
ちなみに、
学校での売り上げは広州の研究施設に送られるとのこと。
今年は我が家も2枚購入して、売り上げに貢献しました。
Tシャツとしての品質はよろしくないですが、
チャリティーですから、文句は言いません!
明日まだ売ってたら、もう2枚買おう!!
1枚50元、全校総売上は、25000元
だったそうです!
おめでと〜
今日は、Terry Fox Run を明日に控え、
学校のTシャツの売り上げを祝い、特別な全校集会がありました。
(
去年の記事:昨日のなんでもありの学校集会参照)
去年は、知り合いの先生から情報を仕入れ、
数少ない父兄として参加したのですが、
今年は、学校のレターでちゃんとアナウンスがありました。
わたしはビデオを構え、20分前にはいそいそと席に着きました。
日本の学校行事の殺人的な混雑とは大違い、
この時間に行って、わたしは先着2番目でした。
『いそいそ』の理由、それは、ぴかに昨日、
ESLの先生から、
ぴかがパイを投げる子に選ばれた
と聞いたからです。
しかし、ぴかはすかさず
「いやだ」と答えたんだそうです。
「本当に他の子と交代したいのか、後で教えてね。」
と、先生は言ったんだそう。
で、ぴかは先生に返事するのを忘れて帰ってきたんだそう。
家に帰って家族に話すにつれて、だんだん、
してもいいカモ・・・
なんて思い始めてきたぴか。
でも、中途半端な会話のまま終わってしまったので、
パイを投げられるのかどうかが解らない。。。
そんな訳で、ぴかは、もやっとしたまま登校したので、
この顛末を見届けるために、
わたしはビデオ持参で出動となった訳です。
・・・で、
案の定、彼はステージに立つことはありませんでした。
先生、気を利かして別の生徒を選んでくれちゃったんだそう。
ま、来年があるさっ!
会場へ、たった一人、わたしよりも早く来ていた父兄は、
カナダ人、じえ氏。
彼は、私のママ友的な顔見知りです。
で、彼に聞いた興味深いお話。
じえ氏がまだ、若者だった頃、今から28年前のこと。
ある早朝の5時、高速を走っていると、自家用車に先導され、
パトカーが最後尾を走り護衛されている、若いランナーを見たそうです。
よく見れば、それがなんと、
強く大きな志を胸に義足で走る、テリーだったのです。
じえ氏は、テリーがまだ暗い、日の出前の早朝から走っていることに
非常に感銘を受けたそうです。
そうしてテリーは、毎日42kmを143日走り続け、
5,373kmを走った所で、
肺の転移でリタイアを余儀なくされ、1年後に逝去したのでした。
ウィキの
英語版によると、彼が亡くなったのは早朝4時37分、
これはテリーのお気に入りのランニング時間だったそうです。
じえ氏は、期せずして、
テリーがお気に入りの時間に走っている、という、
英雄の伝説の一コマとすれ違う幸運を得たのでした。
じえ氏によると、テリーは彼の同年代だそうで、
とりわけ凄い学歴がある訳でもない、
運動が出来てラフな普通の青年だったんだそうです。
そんな若者が、ある日、自分の激動の境遇に負けず、
世の中に訴える、大きなムーブメントに繋がる活動を始める。
素晴らしいではないか。
まるで、バスの白人席からの起立を拒否して逮捕された
ローザ・パークスみたいではないか、
市井の人が社会の大きな力を起こし、
そして、ついにオバマが大統領になったんだよ!!
じえ氏の熱弁、いつしか話題はオバマにまで!
そうか、オバマは白人にも好かれているんだ、よかった
(彼、アメリカ人じゃないけど)
あ、長々脱線しつつ、いろいろ書いていたら、
肝心なことをすっかり忘れてました。
今年、生徒にバリカンで剃られて坊主にされた生け贄は、、、
校長先生でした
ちなみに、校長先生が坊主になった後の第一声、
「没有頭髪!(Mei you tou fa)」
むむむ、やるわね。