ペットだけでいいのか?
師走の慌ただしさが世間を包み込んでいた昨年12月中旬、
ニュースを賑わせたイノシシのことを覚えていますか?
和歌山県和歌山市の市街地に出没し、
人間数名を傷つけるなど暴れたあげく、
終日後、電車にはねられ命を失ったイノシシのことです。
街の人のインタビュー、そしてニュースでは、「危険だ」とする
コメントが大半でした。人間に危害が及んだのは事実。
でも、イノシシの気持ちはどうだったのでしょうか?
ペットのことだけでなく野生動物の生活についても
考えてみようと思います。
野生動物だって。
現在の社会、というか世界。人間がピラミッドの
頂点にいるような気になっているのは事実でしょう。
環境だって食物だって、
人間が壊し、改良し、制限し、また壊す。
人間をのぞく動植物は、その枠組みの中に
はたして収まっているのでしょうか?
答えは恐らく、いいえ、です。
どんなに人間が整備しても、自然災害は起こる。
食料の収穫量は予想から外れる。
人間は、かれらすべての命をコントロールしようとしていて、
2000年の間、格闘しているのだと思います。
ペットについても同様ですね。
人間が犬や猫や、その他たくさんの「飼える生き物」を
自分たちの生活の中に取り入れていった、
それが
ペットライフの始まり。
一緒に暮らすことになった生き物たちと、
ともに歩む方法を考える人は、もちろん多い。
だから
ペットと人の生活が成り立っています。
互いに試行錯誤を繰り返しながら、
共に生きる術を考えてきました。
では「飼える」枠組みに入らなかった生き物たちについては
どうでしょう。
誰と誰の共生か?
自然環境には、ご存知の通り数え切れないほどの
命があります。
人間が暮らしている街は、
自然環境の一部を借りているにすぎず、当然そこには、
人間が暮らすエリアの外から、時折訪問者がいる。
これが先ほどのイノシシのようなものです。
つまり、エリアとして見てみると、このイノシシは、
人間界のご近所さん。
あれれ? と迷い込んできただけかもしれません。
いきなり見たこともない場所に来てしまって、
帰り方が分からない。
「誰か道案内を〜!」と、叫んでいたかもしれません。
でも、そんな姿が怖がられてしまいました。
無機質な建物がそこかしこにある人間の住むエリアでは、
イノシシもパニックになってしまいます。その結果……。
ペットと共に生きるとは、身近にいる自分たち以外の
生き物を通して、彼らの仲間であるほかの生き物へも、
配慮をしていこう、ということではないでしょうか。
私たちが暮らすこの世界は、
人間だけのものではありません。
人もその他の生き物も、
ともに分かち合って生きていくはずのもの。
そんなことを考えてもらうために、もしかしたら犬や猫は、
人間と共に暮らしてくれているのかもしれません。
今年も1月11日に、金沢で人間エリアに出てきてしまった
イノシシが、車にひかれ、逃げ、暴れ、猟友会の男性2名に
かみつき、そして射殺されました。
出てきてしまった理由はなんなのか、かみついた理由は…
言葉が通じないだけに、
行動だけで異端な存在となってしまう。
みなさんが共に暮らしている犬や猫だって、
言葉は通じないんですけどね。
毎日の
ペットとの暮らしを通して、
自然界に生きるいろんな生き物のこと、
そろそろ、考えなきゃいけない頃かも知れません。
いえ、考えましょう!
ほんの少しでもいいですから。
『
ペットと共に生きること』
こんばんは
人間の生活範囲に出てきてしまったイノシシやクマが
殺されるニュースは多いですね、皆「怖い」と・・・確かに
怖いですが、きっと彼らも怖い想いをしていますよね
イノシシの被害にあう農家は死活問題でしょうが、
増えすぎたイノシシだとしても、殺して数を減らすだけでは
問題の解決にはならないですよね。
里山の管理、動物の為だけでなく人間にとって重要だと
思いますが、税金をこういう所に使えないのでしょうか・・・
「お金を稼ぐのをやめて、お金にならない里山管理」は
無理でしょうが、「休みにボランティアででもやりたい」という
人も必ずいると思うのですが・・・・・