若い頃から1日1章1年分を書いたテキストを用いて、朝晩黙想をしてきました。
カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために」上下2巻(自己紹介欄参照)、内村鑑三「一日一生」、「
ローズンゲン」、「日ごとの糧」などです。
今は、C.H.スポルジョンとオズワルド・チェンバーズの著書を用いています。自己紹介欄参照。
【黙想45】
■ 私たちは……望みをかけていました。……そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが……。(ルカ24:21)
弟子たちの言っていることは、すべて事実である。しかし、事実から割り出された推測は誤っている。彼らは不当な欲望を持ち、その結果、霊的な失意に陥ることになった。
失望や抑圧に襲われる時、私たちはそれを、神や人のせいにしようとする。失意は、不当な欲望によって引き起される。この不当な欲望とは、「私はそれをすぐに手に入れるべきだ」という思いである。
霊的に不当な欲望は、神ご自身を求めるよりも、答そのものを求めさせる。私が神に期待していたことはどうなったのか。しかも、今日は三日目にもなるのに、神は解答を与えておられない。だから、当然、私は失望し、神を責めるのだ、と。
このように、神が祈りに答えられるという点だけに執着していくと、私たちは道を踏みはずしてしまう。
祈りは、答を求めることではなく、神ご自身を求めることである。失意落胆は、不健康のしるしである。霊的にも同じことが言える。霊的に失望するのは間違いであり、私たちはこのことについて責任を問われるのである。
私たちは、地震や雷など、神の力を示す天からのしるしを求める(私たちの失意がそのことを証明している)。そして、神がつねに私たちの周りの平凡な事柄や人々の中におられるとは、決して考えようとしない。
もし、私たちが、本来いるべき場である神のもっとも近くにいるなら、神を見出すだろう。
イエス・キリストの神性が平凡なことのうちに現されるということを学ぶ時、神の驚くべき啓示が臨むのである。(オズワルド・チェンバーズ/自己紹介欄参照)。
■ルカ福音書 ◆エマオで現れる
24:13 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
24:14 この一切の出来事について話し合っていた。
24:15 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
24:16 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
24:17 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。
24:18 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
24:19 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
24:20 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。
24:21 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。
24:22 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、
24:23 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。
24:24 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
24:25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
24:26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
24:27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
24:33 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、
24:34 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
24:35 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
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